昭和38年 権田憲蔵
初代料理長「権田憲蔵」

「われわれ身の回りに存在する道具、
包丁も車もすべての道具というものは、
身近であり便利であるがゆえ、
時にその使い方を人は誤ってしまうが、
説明書もあり、ときにママから使い方も教わる。
よって、道具に一切の瑕疵はなく、
その使い方を正しく理解できなかった
読み解き側の人間が悪いのだ-」

上記は1963年に、本学食堂の初代料理長、
故・権田憲蔵(ごんだけんぞう)氏が残した言葉です。

いまの食堂を開設予定だった1960年頃の当時、学生の保護者からは
一部で心配の声が混ざる形での批判も当然ありました。その理由は、
食堂で使用される包丁などの刃物は、料理だけではなく悲しいことに
古くから人を傷つける為に凶器として悪用される事件も
世間ではあったからです。そのため保護者からは、
「そんな危ない道具を利用しての料理はいかがなものか」、
「その道具が100%安全だという保障は存在しないのではないか?」、
「うちの子に何かあった場合はどう責任をとってくれるのか?」、
等の意見が説明会では怒号と共に飛び交いました。

本学での食堂開設はやはり延期中止するべきではないか-

そう本学教職員たちからも選択肢として脳裏をよぎった際に、
当時の料理長であった権田憲蔵が発言したのが冒頭の言葉です。

「われわれ身の回りに存在する道具、
包丁も車もすべての道具というものは、
身近であり便利であるがゆえ、
時にその使い方を人は誤ってしまうが、
説明書もあり、ときにママから使い方も教わる。
よって、道具に一切の瑕疵はなく、
その使い方を正しく理解できなかった
読み解き側の人間が悪いのだ-」

この言葉に反論出来なかった保護者達から、
最終的に同意が得られた事により、晴れて本学内での食堂が開設
それは今日までも、愛されておりそのきっかけとなったのが初代料理長、
権田憲蔵でした。権田憲蔵は国外での教職員経験者であり、
渡航中に得た異なる各国の食文化と、権田憲蔵が生まれ育った故郷である
四国との食に明確な差を感じ、本国に帰国、定年退職後は学業を生徒に教える
事も大事だが、基本となる食文化の大切さを感じてほしいとの思いで、
四国で食べ育った和食、特にセトカを渥美半島で思いはせながら、伝える事を
権田憲蔵の使命と感じ、1988年、病により他界するその人生の最後まで
役目を果たしその生涯に幕を閉じられました。
権田憲蔵氏が亡きあとは、7人の直弟子達が包丁を持ち、
現在もなお世界各国で権田憲蔵の、その名を轟かせています。

商品情報
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  • ※刃物はすべて岐阜県の関市で製造されています。
    ※販売数には数に限りがございます/数量限定
    ※全てシグネチャーモデルで権田憲蔵の名を刻印、
     シリアルナンバーも刻印されています。